2007年5月16日午前4時~5時頃、北京市海淀区にある某大学の住宅マンションの1号棟4階の階段の後部の麻雀室において不可解な火災が発生しました。
消防士は消火活動において、当該マンションの4階に住んでいた当該大学の教師であるB(女性)が、火事のために完全に変形した状態で、麻雀室の部屋の隅で発見されました。
その夜、夫のAも、5階の外部空調設備から消防士によって救助され、逃げ出した他の数人の隣人と同様に、手足に火傷を負っていました。
火災の原因について、消防部門は火災が人為的に放火されたという火災原因確認書を発行しましたが、人為的に放火された方法については分析されませんでした。9月26日、Aは公安部門により放火犯として正式にリストアップされ、殺人の主要な容疑者として刑事拘留され、刑事訴訟手続きが進められました。
2010年5月5日、北京第一中級人民裁判所は、被告Aが故意に他人の命を奪い、死に至らしめたと判断しました。殺人の罪を隠蔽するために、死体に火をつけ、公衆の安全を危険にさらし、重傷を負わせ、その行為は殺人罪と放火罪を構成し、その事実は明らかで証拠は決定的であり、被告は死刑、執行猶予2年間が宣告され、政治的権利が終身剥奪され、多くの犠牲者の経済的損失を賠償しました。
Aは控訴し、2011年4月14日に、北京高等人民裁判所は、原審で認定された事実の一部が不明確として、原判決が取り消され、差し戻されました。2013年3月20日、北京第一中級人民裁判所は、証拠が真実で十分でないとして、被告Aは無罪であるとの判決を下しました。
中国電子新聞の副編集長であるAが被告であり、被害者は彼の妻でした。
大学の教師、殺人、放火などの要素により、この事件はすぐさまメディアの注目を集め、報道が行われました。
初期のメディアの事件に対する報道は、これらの一般的で大衆的な要素に注目していました。
第一審判決の後、控訴を経て、差し戻され、再審判決では被告が無罪となったところ、これらを追跡し報道したメディアは、事件の被害者弁護律師である趙運恒の複数の弁護技術と戦略に注目しました。裁判中に複数の捜査員、専門家証人、鑑定人を申請、承認され、法廷で証言させることで、法廷に調査機関の証拠における疑問点を明らかにし、裁判の厳格な審理を促そうとしました。「罪の軽減」を放棄し、「推定無罪※」を慎重に運用することで一度は厳刑が宣告された被告人Aは、再審され、無罪となりました。
この事件のストーリー、判断基準、結果およびその他のポイントで、アメリカのOJシンプソンの妻殺害事件との類似点が指摘されました。瞬く間に、多くのメディアはより適切でセンセーショナルなニュースソースである「中国版シンプソン」の妻殺害事件を報道するようになりました。
より専門的な律師および厳格な刑事証拠認定基準の観点から、この事件は、中国版のOJシンプソンの妻殺害事件と言えました。
アメリカの正義の歴史で知られるシンプソンの妻殺害事件は、1995年10月10日午前10時に、「世紀の裁判」と呼ばれたアメリカ史上もっとも大衆の注目を集めた刑事裁判でした。カリフォルニア最高裁判所の時点で、陪審員は元アメリカンフットボールのスターであるOJシンプソンを無罪としました。シンプソンは1994年に2件の殺人を犯したとして起訴され、その犠牲者は彼の元妻であるニコール・ブラウン・シンプソンと彼の親友ロナルド・ゴールドマンでした。
同時に、OJシンプソンの強力な弁護団が、証拠の適用基準、裁判と一般の人々の合理的な疑念など、世界中の弁護士が注目していました。OJシンプソンの妻殺人事件を巡って、様々な識者が著書で様々な視点を主張し、それぞれ異なっていますが、ある一つの視点は同じでした。それは、「シンプソンはアメリカの完全な司法制度の下での殺人罪からどのように逃れたか」ということでした。
しかし、Aの妻殺害事件の裁判の過程においては、ほとんど誰もが、Aが放火と妻の殺害の主犯であり死刑は免れないとする理由がありました。 その理由には、
・起訴内容で妻のBが4階の家の中で殺害された後、死体に火をつけるために1階に移動させたこと。
・自閉症の子どものためにAとBが不和だったこと。
・Aの感情的な生活に問題があったこと。
などがありました。
捜査員、被害者の友人親族、単に火災があったことだけを知る人々がそれぞれ、「Aは何時死刑を宣告されるのか」との推測を巡らせていました。しかし、律師だけは現在の刑事訴訟裁判基準の下では、捜査機関によって提供された証拠では被告Aが有罪とは判断できないと固く信じていました。もちろん、裁判基準の公正な適用を主張する裁判官もいました。
Aが無罪判決を宣告された後、趙運恒律師は検察官と公安機関から何度も招聘され、案件処理の経験・技術に学習交流し、どのように被告は無罪を勝ち取ったのか聞かれました。
アメリカンフットボールのスターであるOJシンプソンの妻殺害事件に注目したことがある人ならわかると思いますが、それは警官の証言と血まみれの手袋に対し、シンプソンに雇われた強力な弁護団が攻撃していたことです。これにより、警察が証拠を収集できず、最終的に検察側の有罪証拠が崩れました。
また、Aの妻殺害事件の場合、放火と殺人の目撃者がいなかったため、犯罪行為を直接確認できるライブビデオなどの証拠もありませんでした。被告の供述とは、すなわちAの供述であり、事件の直接的な証拠になりました。 捜査機関側が長年踏襲してきた捜査方法では、被告人の罪を認める供述という切り札を得るために様々な戦略を立てます。しかし、残念なことに、多くの罪を認める供述がありましたが、他の証拠と照らし合わせ、律師による慎重な分析の後では、Aの供述は信頼足り得るものとはなりませんでした。
弁護人の趙運恒は以下のように見ていました。
①Aがした有罪の供述は、拷問により自白を強要されたものであり、証拠とはならない。
Aの法廷での供述と、十数ものAの罪を認める供述の記録時間(そのほとんどが夜間)を照らし合わせると、あることが証明されました。それは、Aが犯罪の事実の存在を認めないときに、強制措置が数ヶ月間とられた後の2007年10月1日の前後十数日間、合計6人の捜査員が昼夜を問わず3つのグループに分けて尋問し続け、Aは虚偽の自白を余儀なくされ、夫婦間の「些細な問題」によるケンカで、互いに殴り合い、それが「動機」となるというストーリーが作り上げられたことです。
10日間以上の連続的な取り調べの後は通常に戻り、Aは決して罪を認める自白をしませんでした。さらに、罪を認める自白の多くの詳細においてさえ、多くの証人の証言との間に深刻な食い違いがありました。
②Aによる罪を認める供述と無実を主張する供述の回数の割合・繰り返しに問題があり、供述自白の真正性を判断するための基礎とすべきではない。
検察側はAによる39回の供述を認めました。うち29回は強制措置後の供述であり、15回の罪を認める供述が含まれていました。供述を覆したのも10回あり、それを元に彼の罪を認める供述は安定して信頼できるとしていました。しかし、法廷でのAの供述は少なくとも50~60回余りあり、罪を認めたのはうち5回分であり、さらに特定の時間内のことでした。
さらに重要なことは、検察機関が被告人のすべての供述記録を裁判所に提出しなかったことです。そのような状況では、誰もが全ての供述の真実の状況を知ることが難しく、全ての証拠が法廷で立証されるという基本原則に違反していました。したがって、供述の回数と被告Aが複数の類似した供述記録に署名していたことは、供述が真実かどうかを判断するための参考となる理由となりませんでした。
刑事訴訟法の規定に従い弁護側意見の正確性を立証するため、趙運恒律師は、この案件の捜査官の出廷と法廷による捜査の受け入れを特別に申請しました。粘り強い申請の結果、裁判所は5人の警察官に出廷するよう命じ、弁護側と裁判所からの尋問を認可しました。これは、これまでに警察の出廷した人数がもっとも多い刑事裁判事件でした。被告人特別の供述は、第一審で全て有効とされました。しかし、再審では、婉曲的に採用されませんでした。
律師は、法律には精通していますがその他の学問については精通しているとは言えません。専門家による支援を求めることがこの案件の成功の鍵でした。被害者の死因を証明する「死体検査報告」には、多くの法医学および生理学の専門知識が必要でした。
最高の弁護を実現するため、可能な限り真実を明らかにするために、律師は自らその他の検査機関の支援を探し求めるだけでなく、捜査機関から委託された検死人や専門家の証人の出廷を申請し、専門的知識による回答を求め、案件の疑問点を解明していきました。
本案件では、捜査機関は被害者Bの死体を検分し、死因が「舌骨の右舌骨折……Bが頸部を圧迫或いは捻られたことによる機械的な窒息死の可能性を排除するものではない」と判断しました。趙運恒律師は複数の検査機関に支援を求め、検査には大きな問題があることを発見しました。
(1)「死体検査報告」は他の合理的な疑いを排除することはできず、本案件の証拠とはならない。また出廷した法医のC医師の証言は矛盾している。
本案件の重要証拠とされた北京のある法医学研究所によって作成された「京公海法病理字2007年132号死体検査報告」は、「Bが頸部を圧迫或いは捻られたことによる機械的な窒息死の可能性を排除するものではない」と結論付けていました。
弁護人は、この結論に対し実証されていないと考えていました。死体検査報告が指摘する「舌骨の右舌骨折、喉頭の粘膜の鬱血、舌の先端の炭化および両肺の小葉間裂溝、血中および毒性の陰性検査結果」などの症状が、「Bが頸部を圧迫或いは捻られたことによる機械的な窒息死の可能性を排除するものではない」という唯一の結論とはなり得ず、事件の事実は立証するものとはなり得ない。
法医学の関連からも、中国語という言語分析の観点からも、「……を排除するものではない」の意味は、少なくとも次の2つの状況があります。
①「特定の結論を排除するものではないということ。すなわちある結論に傾いているが、他を否定しない。
②「Bが頸部を圧迫或いは捻られたことによる機械的な窒息死の可能性を排除するものではない」とは、「機械的な窒息死の可能性を排除するものではない」のであって、「排除するものではない」とは「機械的な窒息死」だけではないと否定するものであり、「圧迫または捻じり」とは「機械的な窒息死」の修飾語ということ。
さらに、検死した法医学博士のC医師は「……を排除するものではない」という言葉の説明については、自ら矛盾した間違いがあったとする一方、「Bが生きたまま火災現場にいた可能性もあった」と言及し、その後に「死後に死体が焼かれた」と言及した。この2つの話は大きく矛盾している。
(2)証拠とならない「現場検査記録」
現場の1階の麻雀室での死体の位置について、消防士の証言は、消火時に使用した水圧では、4~5メートル以内の人を倒すのに十分な力であり、麻雀室の地面と壁にかけたとのことでした。その場合、その水圧によって死体は変化を引き起こし、現場調査記録が根拠とする死体の位置は元の位置にはなりません。よって、弁護人は麻雀室の調査記録は事件の事実の証拠とはならないと考えました。
Aの住居である431号室の検査記録については、検察側が主張する罪を認める供述の一部の裏付けとはなりませんでした。供述では、互いにケンカしたときに化粧品ケースや物品を投げ合ったのであるため、現場に残された壊れ物品や化粧品ケースのかけら、びん、からケンカした際の指紋などの重要な証拠が採取できるはずだからです。
孟子の言葉に「徒善不足以为政,徒法不能以自行」と言う言葉があります。良好な法秩序の確立には、良好な法基準だけでなく、それに適合する法律家の存在も必要です。
法律家の出現は、法の支配の必然的なニーズであり、産物です。現在、法廷での律師の地位は検察官や法官(裁判官)の地位ほど良くないかもしれません。しかし、律師はそれでも、困難を恐れず、全力で現行の法律で付与された権利について、十分に行使するべきなのです。
本案件では、専門家の証人、検査人および捜査官に法廷で証言するよう申請するために、趙運恒律師は反対する裁判官との衝突をためらわず、強く反対する検察官と激しく議論し、善意の「法廷での衝突」が発生しました(刑事裁判の実践においては、律師は当事者の権利を擁護と法律の慎重な研究により、法律に基づいて証拠と事実について独自の意見と疑問を提起します。個々の法官は先入観により、判例を研究せず、律師の主張と疑問は法廷で提起する意味がないとして、律師の話を拒否する或いは中断したりします。律師の陳情のため、個別に法官との口げんか、争いが起きて、更には個別で法官に叱責されることもありこれを「法廷での衝突」と呼称)。粘り強く、恐れることなく、被告人の正当な権利と利益を守るために、弁護の権利を行使するのです。
Aの妻殺害事件の再審判決では、「検察機関が主張するAの殺人罪、放火罪の証拠は確実で十分な基準となるとは言えず、殺人罪、放火罪は成立しない」と判断されました。いわゆる「証拠は確実で十分な基準となるとは言えず」のポイントは、推定無罪です。これは、本案件で弁護律師が、捜査官が拷問による自白の強要があったかどうかを法廷で証言することを主張し、被告Aの拘留場所の記録・刑務所記録およびAの両手両腕の火傷、理由の調査記録を調べ上げたことと切り離すことはできません。有力な証拠と『死刑案件の審査と判断の証拠について若干の問題の規定』と『刑事案件の違法な証拠排除について若干の問題の規定』により、裁判所は、拷問による自白の強要の状況を排除することなく、罪を認める供述を採用せず、それにより被告は利益を勝ち取りました。
この点では、OJシンプソンのケースとやり方は違っても、推定無罪を尊重しているポイントは同じなのです。当然のことながら、シンプソンの事件ではいわゆる合理的な疑いについてより厳密に表現しています。伊藤裁判官は合理的な疑いについて以下の通り定義しました:「これは可能性の疑いという話のみではありません。なぜなら、人に関わる事柄には一種の可能性や想像の疑いがあるのです。「合理的な疑い」とは、全体の検察側の起訴内容を指します。つまり、すべての証拠を徹底的に比較検討した後、陪審員が検察の起訴内容をやはり完全に納得できないという事実なのです(アラン・ダーショウィッツ『合理的な疑い、シンプソン事件から米国司法制度を批判する』p59~60)。
Aの妻殺害事件の再審判決では、検察機関が提供した証拠の矛盾点という稀にみるような記述が詳細に羅列されていました。これは、弁護律師が(検察が提供した)証拠に対する攻撃を行った部分でした。それは、捜査員を出廷させ証言させることであり、その目的は被告Aの罪を認める供述と無罪主張の供述との矛盾を明確にすること、「事件解決報告書」の重大な疑いを確定し、捜査員の被告Aに対する尋問供述の描写および傷の描写と収容所の検査報告を比較し拷問による自白の強要が存在したか否かの可能性を証明すること、専門家の証人・検査人を出廷させ証言させることで被害者の死亡原因を検察機関が主張する頸椎圧迫による死亡で死後に放火したことに限定させていると明確にすること、現場を詳細に検証分析したことで、検察機関が主張する助燃材、助燃物が以前からその場所に実際に存在して周囲の環境とも合致していたこと等です。
再審判決書において、当該部分の検察側主張について以下のように記述されています。すなわち、『調査後、検察機関が提出した「事件解決報告」においてAが犯罪を行った重大な疑いを確定するという根拠が不足している。検察機関が提出した「検死証明書」および検死の法廷での証言と「法医診察意見」、専門の検死人の法廷での意見および被害者Bの舌骨大角骨折が外部の作用によるものかどうか問題には矛盾がある。被告Aの両手、両腕の火傷の理由、および放火の際に助燃剤や助燃物を使用したかどうかの証拠が矛盾している。被告Aは捜査段階で行った罪を認める供述とその他の証拠が一致せず、完全な証拠を構成しない。……』。このことからも、本案件で推定無罪を適用し、これまで通り一辺倒の説明をさけ「事実不明、証拠不足」の一言で終わらせているわけではなく、可能な限り掘り下げて詳細に判決理由を述べていることがわかると思います。客観的にも審議を行った裁判官の推定無罪の原則を慎重に考慮したことがうかがえ、律師の仕事を肯定したと言えます。
陪審員はシンプソンを無罪と判断しましたが、シンプソンは殺人者ではないとアメリカ国民を説得するのが難しいのと同じように、Aは裁判所から無罪と判断されたものの、裁判所の推定無罪という判断基準が正確であるとは言えないということです。Aの妻殺害事件は差し戻され、以前の有罪判決を完全に覆し、無罪となりました。弁護人としては、それは推定無罪という基本原則に裁判所が従おうとした具体例と言え、律師の弁護の観点が尊重され、律師も中国における法の支配の発展を促すメンバーであるということです。
被告のAが殺人の真犯人と信じている人々は、彼は法的な制裁から逃れるために自身の「言い逃れ」と、律師の「狡猾な弁護」と、調査機関の「抜け穴」を利用したと思っています。しかし、より多くの法律専門家は、厳格な法に基づく裁判こそ法の支配の進化であると考えています。律師の粘り強い努力で、裁判所は干渉と圧力を排除し、本案件で推定無罪の原則を適用しました。裁判官と弁護士による法の支配、自由、公正、秩序の追求を反映したものであると言えます。
前述のシンプソンの妻殺害事件で、採用された有罪判決基準は「合理的な疑いを超えた」ということです。すなわち、検察が被告人を有罪と主張する場合、被告人の犯罪を証明するために決定的な証拠を提出しなければなりません。陪審員は、証拠が「合理的な疑いを超える」との基準に達したと確信した場合にのみ、被告人を有罪判決とすることができます。陪審員が無罪と判断するとき、陪審員は被告人が無実であると確信する必要はありません。検察が提出した証拠に欠陥が多くなければ、「合理的な疑いを超える」という厳格な基準を満たしません。多くの事実は、被告が犯罪を行ったことを指し示していますが、陪審員はいずれも被告人が無罪だと判決しました。
しかし、中国の裁判所の裁判慣行では、「合理的な疑いを超えて」は勿論のこと、「推定無罪」を適用するのは非常に困難です。Aの妻殺害事件では第一審での死刑と2年間の執行猶予が宣告されましたが、第一審の判決書面の残虐な発行記録と、結果の重大さからすると、被告の死刑判決が直ちに執行されたとしても、やり過ぎということはありません。これは裁判官により「推定無罪」が密かに適用されたといえるでしょう。この観点でも、再審判決で「推定無罪」という原則を適用させたのは、弁護律師の成果と言えます。
1960年代に、アメリカ連邦最高裁判所は「毒樹の果実」裁判基準を確立しました。しかし中国では、おそるおそる「毒樹」に触れ始めたばかりです。たとえば、最高人民法院が公布施行した『死刑案件の審査と判断の証拠について若干の問題の規定』と『刑事案件の違法な証拠排除について若干の問題の規定』が具体的な案件で適用され始めました。『毒樹の果実』には、まだほど遠いです。Aの妻殺害事件は、『毒樹の果実』を摘み取るため、律師の努力と弁護によって自らの価値を得る必要があることを示しています。
審査と判断の証拠について若干の問題の規定』と『刑事案件の違法な証拠排除について若干の問題の規定』が具体的な案件で適用され始めました。『毒樹の果実』には、まだほど遠いです。Aの妻殺害事件は、『毒樹の果実』を摘み取るため、律師の努力と弁護によって自らの価値を得る必要があることを示しています。
※推定無罪
中国において、「刑事訴訟において検察院は犯罪の被疑者に対し犯罪の事実が不明瞭で、証拠が不確実・不十分である場合は刑事責任を追及してはならず、不起訴処分としなければならないと言う考え」のこと。
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