企業法務コラム
企業においては毎月給与の支払い事務が発生し、時間外手当の計算や各種控除の計算などを行い、銀行での振り込み手続きが必要になります。
給与計算システムを導入している企業であればあまり問題は起きないかもしれませんが、システムの導入までしていない場合、誤って少なく支払うあるいは多く支払ってしまうこともあります。
たとえば、給料を過払いしてしまった場合、従業員に返還を求めることは可能なのでしょうか?また、もしも返還を拒否されてしまった場合、どうすればいいのでしょうか?
そこで、本コラムでは、給与の過払いをしてしまった場合に会社はどのような処理をすればよいのかについて、時効の注意点や回収方法などのポイントをベリーベスト法律事務所の弁護士が解説します。
少なく給料を支払った場合には給与の未払いになってしまうので、すみやかに会社は従業員に支払う必要があります。
他方、多く給料を支払ってしまった場合には従業員から返してもらうことはできるのでしょうか。「すでに使ってしまった」と従業員に言われた場合、どうすればよいのでしょうか。
給料を過払いしてしまった場合、会社は従業員に対して民法703条に基づき不当利得返還請求をすることができます。
不当利得返還請求とは、不当利得のために損失を被った者が、不当利得を受けた者に対し、その不当利得の返還を請求できるというものです。
不当利得とは、法律上の原因なく他人の財産または労務によって受けた利益のことをいいます。
給与の過払いを例に不当利得が成立するためには、次の4つの要件を満たす必要があります。
この要件に照らし合わせると、会社が給料を多く支払ったことにより「損失」が生じ、従業員が本来もらうべき給料より多くもらっているので「利得」があると言えます。
会社の給料過払いより利得と損失が生じているので「因果関係」があり、従業員が利得を得たことに「法律上の原因」はないので、不当利得返還請求が認められます。
問題社員のトラブルから、
もっとも、会社が不当利得返還請求した場合、給料の過払いを受けたことを知らなかった場合(善意)には、従業員から「会社のミスなのに返還しなければいけないのか」と不満がでるかもしれません。
しかし、不当利得返還請求というのは、本来得られるべきでない利益を得た者はその利益を返還しなければならないという公平の原理に基づく制度なので、会社の過失は問題になりません。
ただし、不当利得返還請求できる範囲は、「その利益の存する限度」に限られます。
つまり、過払い分の給料を受け取った従業員の手元に残っている金額だけが返還請求の対象となります。
他方、利益を受けた従業員が過払いの事実を知っていた場合(悪意)の場合には、利益を受けた者が得た利益の全部の返還を請求できます。
ケースなどが該当する可能性があるでしょう。
悪意だった場合は、さらに、使い込まれた過払い給料に利息を付けて返還するよう求めることが可能となります。なお、利息は、令和2年4月1日以降、年3%です。
不当利得返還請求権も債権の一種です。したがって、時効があります。
つまり、時効期間を経過した場合に時効が成立し、回収は難しくなることに注意してください。時効期間は、「債権者が権利を行使することができることを知ったときから5年」、または、「権利を行使することができるときから10年」です。
具体的に説明すると、会社が給料の過払いに気づいたときから5年で時効になります。
また、過払い給料を支払ったときから10年が経過した場合も時効となります。
つまり、過払い給料を支払ったときから10年が経過していれば時効が成立し、請求された側が時効を援用(主張)すると支払ってもらうことはできなくなってしまいます。
そして、過払い給料を支払ったときから10年を経過していない場合でも、会社が給料の過払いに気づいたときから5年が経過すれば同様です。
時効期間を経過すると、債権者(会社)が、債務者(従業員)に請求しても時効の援用をされると債権を回収することはできなくなります。
時効の援用とは、時効による利益を享受する旨の意思表示をすることを言います。
簡単に言うと、「従業員(債務者)が、消滅時効制度を利用すると会社側(債権者)に伝える」ことです。
ただし、時効制度は、債務者のための制度です。
たとえ時効期間を経過していても、たとえば労働者自らが給料の過払い分を返金してきた場合は、問題なく受け取ることができます。
過払い給料について、今後支払われる給料から天引き(相殺)することができれば簡単ですが、そのようなことは許されるのでしょうか。
給料は労働者の生活の基盤であることから、賃金は全額支払うのが原則です(労働基準法24条1項)。したがって、給料から過払い部分を勝手に天引きすることは原則としてできません。
ただし、「過払い分がある場合は翌月の賃金から差し引いて支払う」などの内容が含まれた労使協定がある場合には例外として認められます(労働基準法24条1項ただし書き)。
ただし、労使協定があっても控除について私法上の効果が認められるわけではないので、従業員との関係で天引き(相殺)が有効になるためには、労働協約を締結しておくか(労働組合法16条、労働契約法7条、10条)当該労働者の同意を得ておくことが必要です(労働契約法8条)。
労働者から同意を得る場合には、労働者の自由な意思に基づいて同意がなされる必要があります。会社と従業員では、従業員は弱い立場にありますから、会社から同意するよう強く求められると、従業員は真意に反していても同意してしまうことがあります。
後に従業員が「同意を強要された」、「だまされた」として錯誤や詐欺を主張する可能性があり、問題が長期化してしまうおそれがあります。慎重かつ丁寧な対応を行いましょう。
前述の通り、過払い分をその後の給与から差し引いて支払うことが有効になるためには、労使協定や労働協約を締結していること、労働者から同意を得ることが原則です。
しかし、それらがない場合であっても、従業員の生活の安定を害さない程度の控除(相殺)は認められるとする判例があります(最一小判昭44年12月18日:福島県教組事件)。
この判例では、以下の要素から見て、労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのない程度の場合、労働基準法24条1項の規定に違反せず、過払い分をその後の給与から差し引いて支払うことも有効であると判断しました。
給与を支払う場合においては多少の計算違いが生じることはありえることです。
その場合、精算調整のため、給料からその分を相殺することは、その行使の時期、方法、金額などから見て、労働者の経済生活を不安定にするおそれがないと認められる範囲内で行われるときは許されると最高裁は判断しました。
いずれにしても、労働者の合意を得る等しないまま過払い分を相殺したうえで支払うことが認められるのはあくまで例外です。
まずは合意を得られるよう丁寧に説明をするなど努力をし、それでも合意を得られない場合に、天引きしても許容されるかどうかについて慎重に判断したうえで進めるようにしましょう。
なお、仮に従業員の同意があるとしても、控除する額についても「労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのないもの」という観点から、多額の控除をすべきではないと考えられます。
金額が大きい場合には、自由意思による同意であることが否定され、同意の効力が争われるリスクもあります。
金額が大きい場合には分割するなどして、生活に支障がない程度の控除にとどめるべきでしょう。
会社と従業員は雇用契約という契約関係にあります。
契約は契約当事者の双方が合意した場合には内容を変更することができるのが原則です。
しかしながら、雇用契約については労働基準法や労働契約法などの各種労働関係法令によって労働者の保護が図られ、労働条件の変更やそれに基づく賃金の支払いについて制約されています。
払いすぎた賃金を会社が一方的に天引きすることや、従業員の意思を抑圧して天引きに合意させることはできません。
加えて、労働組合がある場合には、従業員に対する不当な扱いに対して労働組合から反発されることも考えられるところです。
労働問題に対処するためには、労働関係法令や民法の知識だけでなく、これまでに蓄積されてきた判例・裁判例を踏まえたうえで、訴訟になるリスクやなってしまった後のリスクも想定して慎重に対応する必要があります。
労働者との直接の交渉や労働審判、訴訟だけでなく、労働基準法に違反すれば労働基準監督署からの勧告や指導の対象となりますし、労働組合との関係では団体交渉ということになるなど、問題が多方面に波及して問題解決に多大な時間や労力がかかることもあります。
弁護士に対応を依頼することで、労働者の訴えに対する対応を任せることができますので経営者は業務に集中することができます。
また、弁護士が間に入ることで、労働者の感情が落ち着くこともあり、冷静に交渉ができる可能性が高まります。
団体交渉では労働組合側に労働関係法令に精通した方がいるのが通常です。
したがって、対個人に比べて会社側の一担当者が対応するのは非常に難しいでしょう。
しかし、弁護士に依頼すれば、事前の準備はもちろん交渉の席に同席して適宜法的アドバイスをもらえます。
特に、労働審判や訴訟ということになった場合には、弁護士に依頼するのがよいでしょう。
労働審判や訴訟では書面の提出と期日への出席が必要になりますが、これらを弁護士に依頼することで、通常と変わらず業務に専念していただくことが可能です。
問題社員のトラブルから、
今回は、給料の過払いについて、その後に従業員に支払うべき給料から天引き(相殺)することはできるかについて解説してきました。
労働者は労働関係法令で手厚く保護されており、給料も全額支払うのが原則です。
例外的に給料から天引き(相殺)することが認められますが、上記のとおり制約があります。
その制約も時期や金額などをみて「労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのないもの」であるかを検討することになり、天引き(相殺)が賃金全額払いの原則の例外として認められるかどうかは一見して明らかなものではなく、これまでの裁判例等の分析も必要になります。
そのため、賃金の過払いに気づき、その後の給与から天引き(相殺)を考える際には、労働問題に対応した知見が豊富な弁護士に可能かどうか相談されることをおすすめします。
労働問題は、こじれると労働者個人との労働審判や訴訟、労働組合との団体交渉に発展してしまう事態に陥りかねません。
訴訟となった場合には結論が出るまで長期にわたる対応が必要となります。日頃から労働問題について相談できる体制を構築しておくことが望まれます。
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