歯科医院を経営していると、長年続けてきた運用でも、労働基準法違反にあたるケースがあります。
労働基準法違反が認められると、労働基準監督署から是正を求められるだけではありません。未払い残業代を請求されたり、スタッフとの信頼関係が損なわれたりするおそれもあります。また、地域でトラブルが噂となれば、医院の経営や採用活動に影響が及ぶこともあるでしょう。
こうしたトラブルは、日頃から労務管理を見直し、法令に沿った運営体制を整えておくことで防げるケースがほとんどです。
本コラムでは、歯科医院でよく見られる労働基準法違反のパターンや違反した場合のリスク、再発を防ぐための具体的な対策について、ベリーベスト法律事務所 企業法務専門チームの弁護士が解説します。
歯科医院では、気付かないうちに労働基準法違反となっていた、というケースが起こり得ます。まずは、よく見られる7つのパターンを紹介します。
従業員を採用するときは、賃金や労働時間、休日などの労働条件を明示しなければなりません。
なお、この「従業員」には、常勤のスタッフはもちろん、短期のアルバイトや、アルバイトの歯科医師を含みます。
そのため、次のような対応は労働基準法違反になる可能性があります。
労働条件が曖昧なまま働き始めると、「聞いていた話と違う」というトラブルが起こりやすくなります。採用時に必要事項を書面で明確に伝えることが、後の紛争防止にもつながるでしょう。
労働基準法では、労働時間が6時間を超える場合は45分以上、8時間を超える場合は1時間以上の休憩を与えなければなりません。
歯科医院では昼休憩を設けていても、次のようなケースでは休憩時間とは認められない可能性があります。
このような時間は、実質的には労働時間と判断されることがあります。休憩時間中は、スタッフが仕事から離れられる環境を整えることが求められます。
法定労働時間は、原則として1日8時間、1週間40時間です(労働基準法第32条)。
ただし、歯科医院は労働基準法上の「保健衛生業」に当たるため、常時10人未満の労働者を使用する医院は「特例措置対象事業場」として、1週間の法定労働時間が44時間となります(労働基準法第40条、労働基準法施行規則第25条の2)。なお、1日8時間の上限に特例はなく、また特例の適用に届出は不要です。
また、令和6年4月から医師には時間外労働の上限規制について特例が設けられていますが、この対象となる「医業に従事する医師」は医師法上の医師に限られます。つまり、歯科医師は含まれません。
そのため、歯科医師にも、一般と同じ上限規制(時間外労働は原則として月45時間・年360時間)が適用されます。これを超えて残業や休日労働をさせるには、「36(サブロク)協定」と呼ばれる労使協定を締結し、労働基準監督署へ届け出る必要があります。
さらに、36協定を締結していても、時間外労働は原則として月45時間・年360時間が上限です(労働基準法第36条第4項)。これを超えると違法残業となりえます。
臨時的な特別の事情があり特別条項を設けた場合でも、年720時間以内、時間外労働と休日労働の合計が単月100時間未満・複数月平均80時間以内、月45時間を超えられるのは年6か月まで、という上限を超えることはできません(同条第5項・第6項)。
歯科医院では、主に以下のようなケースが問題となり得ます。
患者対応が長引くことは珍しくありませんが、それを理由に長時間労働が常態化してしまうと、労働基準法違反になるおそれがあります。
残業をさせた場合には、通常の賃金に割増賃金を上乗せして支払わなければなりません(労働基準法第37条)。
割増率は、時間外労働が25%以上、法定休日労働が35%以上、深夜労働(午後10時〜午前5時)が25%以上です。さらに、1か月60時間を超える時間外労働については50%以上の割増率が適用されます。
歯科医院では、次のような運用が未払い残業代の原因になりやすい傾向にあります。
労働基準法上の労働時間とは、従業員が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいいます。医院側と従業員の取り決めによって決まるものではなく、客観的に判断されるとするのが最高裁判所の考え方です(最高裁判所平成12年3月9日判決)。
そのため、院長の明確な指示がなくても、業務上必要な作業であれば労働時間に当たることがあります。実際の勤務時間を正しく把握し、それに応じた賃金を支払うことが欠かせません。
一定の要件を満たした従業員には、年次有給休暇を取得する権利があります。
歯科医院では、「人手が足りないから」という理由で有給休暇を認めないケースがあるようです。しかし、法律上、医院に認められているのは請求を拒否する権利ではなく、事業の正常な運営を妨げる場合に取得日を変更してもらう時季変更権にとどまります(労働基準法第39条第5項ただし書)。
単に人手が足りないというだけでは、時季変更権の行使が認められない可能性が高いといえます。また、退職直前の請求のように変更できる日が残っていない場合は、時季変更権を行使する余地がありません。
たとえば、以下のような運用をしている場合は注意が必要です。
このような対応をしている場合は、トラブルにつながる可能性があります。
あわせて注意したいのが、年10日以上の年次有給休暇が与えられる従業員については、医院側が年5日分について時季を指定して取得させる義務を負う点です(労働基準法第39条第7項)。「本人が希望しなかった」という理由では義務を果たしたことになりません。
歯科医院で常時10人以上の労働者を使用している場合は、就業規則を作成し、労働基準監督署に届け出なければなりません(労働基準法第89条)。
ここでの人数には、歯科衛生士や歯科助手、受付などのパート・アルバイトも含めて数えます。また、作成・変更にあたっては従業員の過半数を代表する者などの意見を聴く必要があり(同法第90条)、作成した就業規則は従業員に対し適切な方法で周知しなければなりません(同法第106条第1項)。適切な方法で周知していない就業規則は、効力が認められない場合があります。
「昔から口頭で説明しているから問題ない」と考えている医院もありますが、それでは十分ではありません。就業規則が整備されていないと、スタッフごとに説明内容が異なり、労務トラブルが起きやすくなります。また、懲戒処分や服務規律なども適切に定めていなければ、問題が起きた際に医院側が十分な対応を取りにくくなることもあるでしょう。
医院を安定して運営するためにも、法令に沿った就業規則を整備しておくことが大切です。
特に歯科医師について、業務委託契約として診療に従事させている事例があります。
しかしながら、業務委託という契約形式であっても、実態が雇用契約に基づく労働者であると判断された場合、労働者と同様の保険料納付や残業代支払いの義務などが生じることとなります。
各歯科医師に対し、各患者の治療方針のすべてを委ねているから業務委託契約であるとするのは不十分です。雇用契約と同等の指揮命令関係が認められないように、明文の契約を用意するとともに、実態的な運用についても慎重な運用が必要となります。
問題社員のトラブルから、
労働基準法違反があったからといって、直ちに罰則が科されるわけではありません。しかし、違反を放置すると、労働基準監督署による調査や是正勧告、未払い残業代の請求などに発展する可能性があります。
労働基準法違反が疑われる場合には、労働基準監督署による臨検監督(臨検)が行われることがあります。臨検監督とは、労働基準監督官が実際の事業場を訪問し、労働基準法などが守られているかを確認する調査です。
臨検監督には、以下のような種類があります。
事前に日時の連絡を受けて行われる場合もあれば、予告なく訪問を受ける場合もあることを知っておきましょう。
一般的には、監督官の訪問と身分証の提示、帳簿・書類の確認、院長や担当者への聞き取り、その場での講評、法違反があれば是正勧告書等の交付、指定期日までの是正報告書の提出、という流れで進みます。
臨検では、次のような資料の提出を求められるのが一般的です。
また、以下のような内容について、院長や担当者への聞き取り確認も行われます。
日頃から労務管理を適切に行い、必要な書類を整理しておけば、調査にも落ち着いて対応しやすくなるでしょう。
調査の結果、労働基準法違反が認められると、労働基準監督署から是正勧告や指導を受けることがあります。
是正勧告とは、違反している内容を改善するよう求める行政上の措置です。刑事罰ではありませんが、医院は指定された期限までに改善し、その結果を報告することが求められます。
たとえば、以下のような対応が必要になることがあります。
是正勧告を受けたからといって直ちに営業できなくなるわけではありません。しかし、改善を怠ると、さらに厳しい対応につながるおそれがあります。
労働基準法違反の内容が重大であったり、是正勧告を受けても改善しなかったりした場合には、労働基準監督署から検察庁へ事件が送られることがあります。これを「送検」といいます。
労働基準監督官は、労働基準法違反の罪について司法警察員の職務を行う権限を持っています(労働基準法第102条)。送検され、捜査を経て起訴されると、刑事罰が科される可能性があります。
たとえば、休憩や割増賃金、年次有給休暇に関する規定への違反は6か月以下の拘禁刑または30万円以下の罰金、労働条件の明示や就業規則の届出に関する規定への違反は30万円以下の罰金が定められています。
もちろん、すべての違反が送検されるわけではありません。悪質性や違反の内容、改善状況などを踏まえて判断されます。だからこそ、「少しぐらいなら問題ない」と考えず、早い段階で運用を見直しておくことが大切です。
労働基準法違反で特に多いのが、未払い残業代をめぐるトラブルです。
厚生労働省が公表した「賃金不払が疑われる事業場に対する監督指導結果(令和6年)」によると、令和6年に全国の労働基準監督署が取り扱った賃金不払事案は2万2354件、対象労働者数は18万5197人、金額は172億1113万円にのぼりました。
歯科医院が含まれる保健衛生業は、業種別でも件数・対象労働者数がともに上位を占めています。
未払い残業代を請求できる期間(消滅時効)は、当分の間、賃金の支払期日から3年とされています(労働基準法第115条、同法附則第143条第3項)。そのため、請求が数か月分で終わるとは限らず、3年分にさかのぼって問題になることもあります。
さらに、労務トラブルが口コミサイトやSNSなどで広まると、採用活動や医院の評判に影響する可能性があることは否定できません。
患者から信頼される医院であり続けるためにも、労働基準法を守り、スタッフが安心して働ける労働環境を整えることが重要です。
労働基準法違反は、日頃の労務管理を見直すことで防げます。ここでは、歯科医院が取り組みたい主な対策を紹介します。
労務管理の責任者は、歯科医院の経営者です。
そのため、院長自身が労働基準法の基本的なルールを理解しておく必要があります。
「ほかの医院でもやっているから」「スタッフが不満を言っていないから」という理由だけで現在の運用を続けるのは危険です。誤った認識のまま管理を続けると、労働基準法違反によるトラブルやリスクが生じるおそれがあります。
まずは経営者自身が正しい知識を身につけることが、適切な労務管理への第一歩です。
就業規則や雇用契約書などの社内規程は、医院とスタッフが共通のルールを確認するうえで欠かせません。制度が曖昧なままでは、人によって説明内容が異なったり、トラブルが起きた際に対応方針がぶれたりする原因になります。
特に以下のような内容は、就業規則や雇用契約書で明確にしておくことが望ましいでしょう。
一度作成したら終わりではなく、法改正や医院の運営状況に合わせて定期的に内容を見直すとともに、従業員がいつでも確認できるようにしておきます。
使用者には、従業員の労働時間を客観的な方法で適正に把握することが求められています(労働安全衛生法第66条の8の3、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」平成29年1月20日基発0120第3号)。
自己申告だけに頼ると、記録漏れや申告漏れが生じやすく、実際の勤務時間との間にずれが生まれることがあります。そこで活用したいのが、勤怠管理システムやICカード、タイムカードなどです。
適切に勤務開始・終了時刻を正確に記録することにより、以下のような改善を見込めます。
また、診療後の片付けや清掃など、勤務時間の境目が曖昧になりやすい業務についても、実際に働いた時間を記録する運用を徹底しましょう。
労務トラブルは、従業員との日頃のコミュニケーション不足が原因で生じることがあります。
普段からスタッフの意見に耳を傾け、勤務時間や働き方について相談しやすい環境をつくることが大切です。現場の声を取り入れながら運用を改善していけば、労働基準法違反の防止だけでなく、働きやすい職場づくりにもつながるでしょう。
労務管理は、院長だけが理解していれば十分というものではありません。分院長や事務長など、スタッフの勤務管理に関わる立場の従業員も、基本的なルールを理解しておく必要があります。
たとえば、以下のような項目について定期的に研修を行うことで、誤った運用を未然に防ぎやすくなります。
制度を整えても、現場で正しく運用されなければ意味がありません。院内全体で労働基準法への理解を深め、ルールを共有することが、コンプライアンスの強化につながります。
労働基準法違反を未然に防ぐには、労働問題の解決実績が豊富な弁護士とともに労務管理を見直すことが有効です。ここでは弁護士に相談するメリットを紹介します。
院長自身では問題ないと思っている運用でも、法律上は改善が必要なケースがあります。
たとえば、以下のような歯科医院でよく見られる事例では、改善が必須となりえます。
弁護士は、勤務実態や院内ルールを確認したうえで、最新の裁判例や判例、労働基準法に照らして問題がないかをチェックします。違反が疑われる点があれば、どのように改善すべきかについても具体的なアドバイスを行うことが可能です。
就業規則や雇用契約書は、インターネット上のひな形を形式的にそのまま利用すればよいというものではありません。
医院の勤務形態やスタッフ構成に合っていない内容では、実際の運用との間にずれが生じ、かえってトラブルを招くことがあります。
弁護士に相談することにより、医院の実情を踏まえた就業規則や雇用契約書の作成・見直しを行えます。
法改正にも対応しながら整備を進められるため、労務トラブルを防ぎやすくなるだけでなく、スタッフにとってもルールがわかりやすい職場づくりにつながります。
労働基準監督署から臨検監督の通知を受けたり、スタッフから未払い残業代を請求されたりすると、通常の診療を続けながら対応するのは大きな負担になることでしょう。
弁護士に対応を依頼することにより、労働基準監督署への対応方法について助言を受けられるほか、必要に応じて是正勧告への対応や未払い残業代請求への対応も一任できます。
さらに、あらかじめ顧問弁護士をつけておくことで、トラブルが起きてから相談するのではなく、日頃から労務管理について気軽に相談できるようになります。労働基準法違反は、発生してから対応するよりも、未然に防ぐほうが時間的にも経済的にも負担を抑えられます。
安心して医院を運営していくためにも、早い段階から弁護士と連携し、法令を遵守できる体制を整えておくことをおすすめします。
問題社員のトラブルから、
歯科医院では、残業代の未払いや休憩時間の運用など、日常業務の中に労働基準法違反につながるリスクが潜んでいます。違反が発覚すると、労働基準監督署の調査や未払い残業代請求など、医院経営に大きな影響が及ぶリスクは否定できません。
大切なのは、問題が起きてから対応するのではなく、日頃から労務管理を見直し、法令を遵守できる体制を整えておくことです。
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